2014年2月28日金曜日

むっちゃんずdays #11 小さなおもてなし

だいぶ昔のことですが


、静清国道をトラックで走っていたら

信号付近で立ち止まっている、熟年夫婦連れから
「臨済寺はどちらですか・・・?」と尋ねられ
とりあえずおしえようと話し始めたのですが、
自分の説明ではちょっと 解りずらそうだったので、
「いいよ!ちょうどそっち方面へ行くから
そこまで乗せてってやろうか?」
と言ったら、
「・・・じゃあ申し訳ないけど いいですか?」
「どうぞどうぞ!」  ということになり、門前までお供しました。
別れ際に その熟年夫婦
「全くの初対面なのに親切にして頂き・・・」と
ひどく有難がれました。  その方達は 横浜から来て
静岡へは 観光目的で訪れたと言っていた。
その時人に親切にするとアドレナリンが出て
 TOTEMO 清々しいもんだなと 思いました
よその県からのお客さんに対して静岡県民を代表して
小さな   お ・ も ・ て ・ な ・ し
ができたような気分でなぜかその日一日中気持ちよく仕事ができました。
       棟梁 杉山 睦雄

2014年2月11日火曜日

むっちゃんずdays #10  現場の空気に 慣れる







以前出会ったことのある大工さん、
その方は代々木の体育館とか 広いところの床を専門に手掛けてきた人で
面積の広い床を これから張ろうとするとき 1か月くらい前から
予め床板をほぼ 等間隔に並べて置くのだと
そうすることにより 、 その材が

「現場の空気に慣れてきて言うことを聞いてくれるのだ!」

と教えてくれました。

その時私は 「木も人見知りするんだなぁ・・・」と思いました

私達もそうなんです

ひとつの現場に長く通うことにより様々なことが分ってきて、突然
いい  idea  が浮かんでくる

先ず 現場の空気に慣れると言うことが
職人の第1段階として 大切なことである

            
          棟梁   杉山睦雄

2014年1月21日火曜日

むっちゃんずdays #9 みせたい住宅


40数年、人様のニーズに合わせつつ 様々な家づくりをさせて頂いて、
気づいたことに 

現在 建たれている住宅の相当数が 大手の住宅会社であること

しかし本当に自分たちが思っていたような家が出来ているのでしょうか?

今の家づくりの中には「二世帯住宅」ならぬ、


「みせたい住宅」      になっていないでしょうか??




家の主人公である 住まう人が住みやすく
楽しい家であること

自分たち家族が住む前に 他人に見せるためにつくるような・・・・

人の目をきにするあまりに 造りたいものを
造れなかったりしてはいないでしょうか??

元来 人以外の 動物達は 

「自分の家は自分でつくる!」

これからも 個性豊かな 家づくりをして行きたいものです


                                棟梁 杉山睦雄



2014年1月10日金曜日

Wood cafe style   吹き抜けリビング

こんにちは ミセス ジラフです。。
 
さて ランドリースペースから リビングへ
 
なんだか かわいらしい廊下ですね   
 
リビングは もう すぐそこです!!
 
 
 
 
 
 
 
 
じゃーん
 
 
 
広々 LDKです 
間口の狭い土地の為 この空間を 確保するのに とてもとても 頭をひねりましたが
無事 落ち着きました
 
奥様と何度も 打ち合わせを重ね ようやくたどり着いた 間取りと デザイン
 
家づくりの 醍醐味です
 
 
 
広さは18畳   冬場は 太陽の光を ふんだんにとりいれ
夏場は 風の通りみちを確保することで すずしさを味わい
 
足りない分 を 電気エネルギーで補う 
 
そんな 家です 
 
床板は 無垢のパイン オイル塗装 
自然素材 の 特徴でもある しっとりなめらかな質感
 
そういうった 材料の 手触りなんかも 暑い 寒いにも 関係してくるのです
 
意外です?よね 
 
 
 

 
窓の つけかた も重要です
 
 
光 と 風を 取り込む 窓  
それだけではなく 内観 外観の デザインにも ものすごく 影響力をもっている窓 
 
たかが 窓 されど 窓 
 
あなどれませんね 
 
 
 
 



 
上をみてください




 
 
吹抜け 空間です
 
  

空間が ダイナミックに変化するため わくわくドキドキ 楽しさと
すっきり さわやか 爽快感を 感じられます 
 
高い窓から は もちろん 光と 風を 
 
冷房暖房が きかないのでは??と心配の声も聞こえてきそうですが 
 
家全体を すきまなく すっぽりと 断熱材で覆っているため
保温力 ばっちり です 
 
吹抜けについている ファンを まわせば 空気もうまく 循環してくれます
 
 古材の梁に 少し 優しさをかんじられます
 
 
 
 
 
 
奥様方は 一番こだわりたいですよね??
 
キッチン
 
 
キッチンも お施主様によって 多種多様です 
今度 別の日に 水回りメーカーごとの特徴を ご紹介させていただきますね
 
こうご期待!! 
 
 
 

 
というわけで 今回は SANWAカンパニー制キッチン 
 
天板はステンレス で シンプルな形 
 
デザインで勝負してる感じですね
 
自然素材をふんだんに使っても ナチュラルになり過ぎないテイストに 
引き締めてくれるようなそんな 存在
 
それぞれの素材の組み合わせかたで お施主様の 好みのテイストに
だんだんと 出来上がっていく様子は 
何度みていても 不思議で 面白いものです。
 
 
 
 
 
 
 
 
んっ??!
 
 
アーチのトンネル なんだろう??・・・
 
 
・・・・
 
 
 
 


 
 
トンネルを ぬけると そこは 一面 花畑!!
 
 
って そんな わけ あるはずもなく 
 
実は 旦那様の 書斎に なっています。
 
 
秘密基地的な 空間 
 
若干狭いですが かなりの 量の 本を収納できます
本だけではなく DVD CD も 大容量収納可能です 
 
 
ここに 椅子をもってくれば
マンガ喫茶 に 早変わり・・
 
どうぞ ごゆっくり 読書を お楽しみください。
 
 
 
                ・・・・・つづく
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2013年12月19日木曜日

むっちゃんずdays #8  意思伝達 

全て仕事とは、人~人へ 意志意向を正確に伝えるということから
はじまるのではないでしょうか?
私の父方の祖母は 『とな』 という名前で
明治の初期に生まれ昭和16年に亡くなるまで、とても勤勉でその頃の平民は
読み書きできる人が少なかった時代に
読み書きそろばんも達者で、嫁に来た当初から、近所の人達から
書き物があると よく頼まれたようです。
それに、とても手先が器用で けっこう大きな鶏小屋など
一人でつくってしまったようです。
その祖母の とな様(武家から嫁にきた)の 嫁入り道具、
私が実家を建てなおした際(昭和63年)頂いてきて
大事にそのままの状態で今日まで 使わせてもらってまいりました。
もともと着物を入れる箪笥でしたが、私としては我が家にとって
最も大切にしたいものだけをしまっておきたい と思い
(私が今まで手掛けさせて頂いた仕事によって
得ることのできた知識知恵のかたまりのようなものばかり)
以前からもうすこし今風にリフォームしたいなと思っていました。
しかし 直すというのも なかなか度胸がいるもんです。
というのも 明治時代の祖母の 嫁入り道具。
当時の職人が丹精こめて造ってくれたものの形をくずして今風に造り変えるような
大恐れたことをするのには 躊躇しました。
しばらく考えましたが、リフォームするのは 「今でしょ!!!」
と 度胸を決め このたび完成し 
益々 無二の宝物として大切にしていこうと思うことと同時に 
祖母の生みの親である
私の曾爺ちゃんが、明治の初期 娘に 『とな』と命名したことが
どんなにすごいことか と 思いました。
Because なぜならば 「トナー」というと 現代社会において 物事の
意志意向を伝達する、ファクシミリコピーには 
欠かすことのできない、物質の一つだからです。
そこまで 曾爺ちゃんが 世界中の人々に
親しまれ重宝される名前であることを信じて そのときに Naming
したかと思うと 頭が下がります。
    棟梁 杉山睦雄


2013年12月9日月曜日

むっちゃんずdays #7  渡る世間は〇〇とやら


時のたつのは早いもので、もう今年も12月ですね。
この寒さで思い出すことがある・・・  30年くらい前のことだったか、
今のセノバの近くで玄関だけリフォームしてほしい、と頼まれました。
そのお宅では 車を置くスペースはなく 仕事をするにも 材木も広げられなくて
仕方なし、道端へ作業台を用意して、柱の鉋がけをしていた。

外はカラっ風がビュービューふいていて とても寒いけど、しゅるしゅるしゅるしゅる~と
調子よく柱を削っていたら、
鉋屑が道路の風下の方へ舞っていってしまった。

しばらく そのj状態で 作業をしていたら 隣のモータース(風上隣)の社長がでてきて

「こら!! こんなところで仕事してっ  鉋屑がまっちまって 近所迷惑だ!!」
と ひどく怒られてしまった。 もうこれじゃあ どうすりゃいいんだ?と
八方ふさがりになってしまい、しばらく困っていたら、

その社長 続いて何っていったかというと、
「みんなに迷惑かかるから 家の駐車場を使え!」
といってくれたのです。

駐車場はまだまだ何十台もとめられそうな広いところ。
その1角に けずり台を置かせてもらい できるだけスペースを広げないように
その日1日 作業をさせてもらいました。


考えてみると、風上隣の モータースの社長さん宅の方へは その、
かんなくずが 舞い込むことはないのに

「みんなに迷惑がかかるから うちの駐車場を・・・・」  と言ってくれた

気持ちの広い人も 世間にはいるもんだな   と 思いながら、
その日1日中 有り難いような 申し訳ないような気持ちで仕事をさせていただきました。

今現在進行中の現場の向いのお宅の人達も、

工事初日に

「ここは 道が狭いから路上駐車しないように!!」と言い。
「あいてる時は私っち駐車場へ置いてくれていいよ!」 と言ってくれたので
お言葉に甘えて、置かせて頂いてます。

人様に迷惑かけないように自分の敷地を使えと言ってくれた人に、
たびたび目かけられながら 長い間 この仕事をやってこれたことが 
とても恵まれていて 有り難いことです。

この話を 橋田壽賀子に聞かせてやりたいくらいだ。

「渡る世間に鬼はなし」 とね・・・・。 


                                     棟梁 杉山睦雄


2013年11月16日土曜日

むっちゃんずdays #6  太っ腹のサンタクロース




私が小学生の頃のこと、
毎年この時期になると外国人からクリスマスパーティーの招待状が届くのです。
送り主、そのお方は当時日本在住のアメリカ人で
後に静岡市の名誉市民になられたお方、

エミリー・M・マッケンジーさん です。写真右側、、、私達はホイットニー・マッケンジーと呼んでいましたが・・・

マッケンジーさん  といっても、  ジーさん  ではなく、そのころ60才くらいの
それはそれは、やさしくて気品のあるブロンズの髪がきれいな おばあちゃんのこと、

昭和30年代の私達の村は
前浜でのいさみ漁(地曳網漁)で 生計をたてていた家がほとんどで
 貧乏人の子沢山の村でした。

そんな村人の誰もが 「マッケンジーさん!!」と呼び親しまれていたおばあちゃんのお話。


マッケンジー邸は プライベートビーチのように歩いて行ける海のほとりに 
松林が延々と連なる 閑静な海辺、東を見ればいつも 富士の雄姿をながめられる 
スペイン風の大邸宅の別荘でした。

マッケンジーさんは大変な親日家で 天皇家とも御交友があり、
秩父の宮妃殿下が邸宅に遊びに来られた時 
校長先生をはじめ 小学校生徒と先生全員で 日の丸の旗をふって
お出迎えしたこともありました。

その頃の国道150号線は 砂利道で  (1号線の静清国道もそうでした、)
私達の村に車は1台もなかったころ、
アメ車のジープが 通るたび見えなくなるまで手を振っていたことを鮮明に覚えています。


マッケンジーさんは無類の子供好きで、ある年のことそのパーティーに招かれ、
私にとっては生まれて初めての体験。


門の入口からきれいにされているアプローチを通り、奥に案内されると
そこはまるで別世界!!!
初めて見る異文化の館・・照明をおとしたホールの中央には
キラキラと輝くクリスマスツリーが飾られてあり、
その周りを 
「さぁ! 輪になって~~!」  とパーティーがはじまりました。

♪♪♫ サ~イレンナィ ホ~リ~ナイ~ と歌いながらツリーを囲み 回るのです・・・が 
そのころの私は極度の内向性(今でもそう??)で
とてもそんなことできなかったのです。
活発で度胸のある子は 率先して オルガンの前に行き
明るく歌う子もいました。

私はといいますと、ホールの隅っこで もじもじ
すると なんと マッケンジーさんが片言の日本語で 「チイサイコ マメ(前)・・・・・・」といって
下を向いている私の手をとり輪の中へ・・・

こうして 私も 和 の中に入れてもらえたものでした。
その時のマッケンジーさんの手は とてつもなく白くて柔らかくて 
優しさそのもの。

50年以上たった今でも その温もりは忘れられない良い思い出です。 

なんと言ってもスゴイのは 、
当時の大里東小学校の 460人もの生徒みんなを 
毎年招待してくれていたことです。

太っ腹のサンタクロース !!!! 
有難う!!!!!!! 感謝感謝です。



                               棟梁 杉山睦雄